わざわざ疲れた身体に鞭打って聴いてみた甲斐がありました。

1998年発売の“ニューロックの夜明け”というシリーズの第7弾、“ニューロックの真髄”をまんまと垣間見ることが出来ますよ。
復刻監修のひとりは曽我部恵一です。同じ年の生まれなのに、まったく異なる音楽道を歩んでおられるますね。(←当たり前です)
ギタリストは陳信輝、鍵盤担当が柳田ヒロ、ベーシストはルイズルイス加部こと加部正義、ドラマーは角田ヒロ(つのだ☆ひろ)というまったく以て豪華な顔触れです。
これで悪い訳がないとしか言いようがございません。
M1「That Will Do」は疾風のごとき飛ばしまくる、ブギを変体させた1曲目です。
下りのエスカレーターを駆け上がるかのような勢い(←・・・大したことではないですね)で迫り来る気持ち良さ。
例えばM3「Waltz For M.P.B」で言えば、The DoorsのRay Manzarekからの影響でオルガンへと転向したという柳田ヒロの演奏が前面に押し出されました、やはりThe Doorsの面影を偲ばせるサイケデリアに心を揺さぶられてしまいますね。
アルバム全編、歌の入らないインストゥルメンタル曲にあって加部正義の演奏が否が応にも鼓膜にこびり付いて来るのです。
希有な閃きを魅せる陳信輝によるギターや柳田ヒロが奏でる奔放な七色のオルガンに一歩も引けを取らないリード・ベースぶりが凄まじいですね。
果たして、角田ヒロががっちりと支える屋台骨を一足飛びにすり抜けて行き、縦横無尽に駆け巡る訳ですよ。
痺れます。
そんな中でM8「The Hole In A Sausage」ではひしゃげたクラリネットの音も飛び出すという15分にも渡る相当錯綜したインプロヴィゼイションをたっぷりと堪能することが出来ますし。
プログレッシヴ・ロック、サイケデリック・ロック、ブルース・ロック云々を超越したところで鳴らされるイカしたロック・ミュージックであると。ただそれだけでよろしいのではないかと感じています。
以前に採り上げました水谷公生の『A Path Through Haze』(1971)をじっくりと聴いた際と同様、1970年代初めの日本のロックがいかに先進的であったかの証左でもあります。
いえ、正味の話、是非とも耳を傾けていただきたい日本のロックです。
Dawn Recordsのロゴ・マークも入れられ、見開きの装丁も素晴らしい紙ジャケットCDです。

誰が名付けたのか“木漏れ日フォーク”という形容がぴったりのHeronの初アルバム作品、『Heron』(1970)。
小鳥のさえずりやそよ風が音盤に自然と溶け込んでいるのです。
と言っているそばからM3「Harlequin 2」はR&B色の強い意外な1曲なのです。
ほかの収録曲には随所にエレクトリック・ピアノなどが使われているにせよ、これはやはり例外的に感じてしまいますね。
それ以外は徹頭徹尾、のびのびとした緩やかな音が織り成すというこの空気感には堪らないものがありますよ。野外録音(!)ならではの開放感、爽やかな風を感じ取らせてくれます。
M12「Sally Goodin」を除きまして、アルバム後半には概ね不思議と統一感があります。
優しく、そして温かく紡がれて行く音に夢うつつなのです。思わず脱力と言いましょうか、なすがままという訳なのですよ。
とりわけM10「Goodbye」で聴くことの出来る粒立ちの良いギター(?)の音を全身に浴びてしまうと得も言われぬ感覚へと陥ってしまいます。
非トラッドとは言え、陰影に富んだブリティッシュ・フォーク勢とは真逆の、そして下手であっても朴訥な歌と奇を衒うことのない簡素な演奏に否応無しに浸ってしまいますね。
手作り感覚を超えて、彼らの奏でる音楽の温もりが確かに伝わって来ますよ。
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彼女の唯一のアルバム作品にして溌剌としたヤング・ソウルが眩いばかりです。

例によって雰囲気重視と思われるフリー・ソウルの文脈から掘り起こされたという割には、冒頭のM1「I Keep It Hid」からいずれも捨て曲のない聴き応え充分のアルバムです。
そんな中で殊更にしなやかなファンキーさを発揮しているのがM7「Don't You Care」でしょう。
炸裂するドラム・ブレイク、煌めくオルガンの音色に熱のこもった歌。
これがもう最高にファンキーな出来映えなのです。曲良し、歌良し、演奏良しの申し分のなさですね。
アルバムの終盤においても隙がなく、M9「Hard Hard Promises」、M10「Hey Girl」ともにうねりまくるベース・ラインが全体を引っ張る爽快感。盛り上げ役のホーンにも工夫の跡が存分に見られますしね。
芯の通った滑らかなAlice Clarkの歌声が自由に泳ぎ回るのですけれど、一風変わったソウル・マナーが特徴です。
それと言うのも彼女の伸びやかな歌を支えるコーラスの存在が皆無なのです。ジャズ・ヴォーカル寄りの歌唱、所以でしょうか。
その代わりと言っては何ですけれども一切の無駄を省いた締まりのある演奏が彼女の瑞々しい歌をしっかりと支えるという盤石さです。
ソウル・ミュージックとして、これほどまでに取りこぼしのないアルバムも珍しいのではないでしょうか。
楽曲の粒が揃いに揃った隠れ名盤と呼んでも一向に構わないどころか、むしろ胸を張って触れ回りたくなるような1枚ですよ。
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聴けば聴くほどに味わい深いものですね。

初っ端から骨太で締まりのある表題曲、M1「Dixie Chicken」が象徴的ですね。
泥臭くもあるその豊かな表現力からして、これぞアメリカン・ロックの王道であると勘違いしそうになります。
ニューオーリンズR&B好きの私、chitlinとしてはM8「Fat Man In The Bathtub」の醸し出す臭みが堪らなくかぐわしいのです。美味、です。
アメリカ西海岸出身ながら何とも土臭い南部の香り高き音の塊は雰囲気のみに留まらず相当な実力を彼らが持ち合わせていることを窺わせます。
粘るリズムが全体を力強く転がして行く原動力として大車輪の活躍を難なくこなしているのですけれど、最後のM10「Lafayette Railroad」というあっさりとしてひなびたインストゥルメンタル曲にも心惹かれる旨味がこれでもかと詰め込まれていまして、最後まで飽きさせない作りの本作に白旗を挙げるしか術がございません。
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ぷく師匠が以前、上京なさった折りに入手されたという逸品です。お中元としてトラックバックいたしますね。

その際のお話に感化されまして遅ればせながら紙ジャケットCDを探し回った訳でありましたが、当然の如く売れ残っている訳もなくいちるの望みをかけて意外と手近な店に飛び込んだところ、ごく普通に新品が売られておりました。
そこでは勿論、荒くなった鼻息を必死に抑えまして、努めて冷静な振りを装い会計を済ませましたとさ。
1曲目の序曲M1「Introduzione」からして何やら壮大なドラマの始まりを予感させ、M3「Ultima Cena」での奇抜な曲調で以てすぐさま引き込まれてしまう訳ですよ。
大袈裟と言えば大袈裟であり、劇的と言えば劇的な展開を見せる間口の広さと言いましょうかサービス精神旺盛と言いましょうか。
ある種の神々しささえ感じさせる彼らの音世界に対していちばん最初に聴いた際には少し驚いてしまいましたが、決して嫌ではありませんよ。
M4「Getzemani」がこれまた奇想天外な展開を繰り広げておりまして、これからどうなるの?というところでばっさりと終わってしまうという煽り方も上手い、のかも知れません。
と思いきや取って付けたようにM5「Il Processo」が。
若干、尺が長いM6「I Testimoni(1 parte)」とそれに地続きのM7「I Testimoni(2 parte)」にしても、ピアノとけたたましいドラムス、そしてギターの絡みなどメリハリが効いていますので飽きさせない作りですし。
あっという間に終わってしまうM9「Il Re Dei Giudei」には何やら男臭さが漂う荒っぽさが前面に押し出されておりますね。この情熱的なところからセクスィー部長を思わず連想してしまいました。
終盤に轟くギター・ソロの音色にも心なしか男の色気を感じてしまいます。
終始厳かなM11「Il Calvario」の仰々しい展開こそ彼らの真骨頂なのでしょうか。
このM11「Il Calvario」と最後のM12「Il Dono Della Vita」までの彼ら自身が酔いしれているかのようなスケールの大きな演奏に飲み込まれそうになりまして、浴びせられているこちらもほろ酔い気分です。
アルバム終盤に来て、まだまだこんな余力を持て余しているとは頭を垂れるしかございませんよ。いえ、本当に素晴らしい出来映えなんです。
それから、追加収録曲のM13「Mese Di Maggio」なんかは素直に格好良いと思います、なんて好き勝手に書き連ねてしまいましたけれど、それくらいに聞きどころが山盛りの1枚なんです。
この作品をひと言で言い表しますと、“俺は最初から最後までクライマックスだぜ!”でしょうかね。(←こじつけ)
紙ジャケットCDを購入した際の2つ折り歌詞カードの件ではlonehawkさんにお世話になりました。

今から40年も前の作品ということは、当時50歳の方々が卒寿を迎える訳です。(←当たり前です)
前回の『Are You Experienced?』で以て受けた衝撃はどこへやら、想像していました以上にサイケデリックな感覚は薄く、収録曲自体が持つ馬力も弱いような印象を抱きました。
そんな具合ですのでM6「Little Wing」の素晴らしさが余計に浮き彫りになっているような。あっさりと短く終わってしまいますし。
ただし、神秘的な音色にも聞こえるグロッケンシュピールもここでは邪魔なのではと感じられるほどです。
録音状態がやけに良好なだけに熟れた演奏さえ何だか勿体ないような。内容としては、「If 6 Was 9」に代表されるように謎めいた歌詞と音作りも特徴でして。
こうなると色鮮やかなジャケット・デザインがすべてと申し上げても過言ではないような気がして来ます。
そんな気になっていましたのも束の間、今回のために本作に何回か耳を傾けてみましたら。もはや青天の霹靂ですね。
威勢の良さはそのままに綿密な曲構成からは、これまたざっくりと消化されたジャズやソウル・ミュージックの要素が滲み出ていますものね。
浅はかでした。こういった前例のなさに戸惑っていただけのことなのかも知れません。
本作は『The Best Of Little Walter』(1988)という名に恥じない最高のシカゴ・ブルースが詰め込まれた1枚です。

同じChess Recordsに吹き込んだBuddy Guyの『I Was Walking Through The Woods』(1970)やJimmy Rogersの『Chicago Bound』(1970)の紙ジャケットCDと一緒に購入してしまいました。
Muddy Watersのバンドへは勿論のこと、件の『Chicago Bound』(1970)の録音にも参加しております。さしづめ1950年代前半のロッキン・ブルースといったところでしょうか。
ブルースの電化に否応なしに対応した結果のアンプリファイド・ハープなのだそうです。そんな増幅されたハープの音色が強烈に唸りまくり、屈強なバンド・サウンドとしのぎを削っています。
技巧的にも相当な腕前なのでしょうけれど、その表現力の豊かさは文句なしですね。泣かせたり、踊らせたり、彼自身も歌ったりと。
大ヒット曲のM1「My Babe」については言うに及ばず、7M「Juke」やM9「Off The Wall」なんかでは大いに盛り上がってしまいますね。
追加収録されたM13「Juke」は別テイクというよりはジャム・セッションのようなものだそうですから、そこはやはり得した気分にもなろうというところです。
今更ではありますが、これはもうシカゴ・ブルース屈指の1枚なんですね。計らずも、改めて感激してしまいました。

今から40年も前の作品ということは、当時48歳の方々が米寿を迎える訳です。(←当たり前です)
天賦の才と言いましょうか、ほかに喩えようがないJimi Hendrixというギタリストはこれからも絶対的な存在でしょう。
その超絶的な技巧に勝る者が居ないのは勿論なのですけれど、ギターの音色が何と言っても色っぽいのです。
特にライヴ映像を目の当たりにしますと彼の恍惚とした表情と相俟って艶かしさも倍増です。
以前からCDでは当時の初期シングル曲が当たり前のように追加収録されていまして、こちらとしても殊更に意識することもなく得した気分にすらなって最後まで聴いてしまいます。
今では多少の違和感を覚えつつも結局、M12「Hey Joe」やM13「Stone Free」、M14「Purple Haze」などの強烈な印象ばかりが残ってしまう訳なんです。
当時、逸早くレコード化されたというThe Leaves版の「Hey Joe」を以前に聴いたこともありますけれど、同名異曲と思えてしまうほどに解釈の違いが際立っています。
アルバム本編では下手をすると、エッジの立ちまくったM8「Fire」くらいが耳にこびりつく程度かも知れません。
思わず冷や汗が・・・。
それにしても、もともとは様々な花形ミュージシャンのバック・バンドの一員としてR&Bを演奏していたというのに、何だってたった3人でロック・ミュージックを演ろうだなんてことになったのでしょうか。
マネジメントの方針と言ってしまって簡単に済むことでもないように感じますけれども。
あの時代、ロック・ミュージックは何よりも自由度が高く、素速くミュージシャンの表現衝動に対応することが出来る機動性を得ていたということなのでしょうか。
結果的に晩年となったBand Of Gypsysの辺りではファンクの色濃い楽曲が特徴ですけれど、わざわざロック・ミュージックを経由して再びブラック・ミュージックへと向き合いながら、独自のファンクを完成させつつあったというのは非常に興味が尽きないところです。
最近ならば、Prince(聴き手としては役不足ではありますけれども)がギターを弾き倒している新曲、その名も「Guitar」を耳にする機会が割合とありますので、安易なことにそこからJimi Hendrixsを連想してしまいます。
Princeの創作意欲にしても人並み外れたものがあるのは周知の通りではありますけれど、それでも格の違いと言いましょうか次元が違うことを改めて思い知らせてくれます。
野暮なことを申し上げるのはこの辺にいたしまして。
Jimi Hendrix自身が間違いなくブルースやR&Bを出発点としていることからも、言うなれば孤高のサイケデリック・ブルースが永遠に轟き続けるでしょう。
厳密に言えばVerve Recordsに残した1枚目ではないのですけれど、便宜上はそうなっています。

伴奏を務める面々は終始、抑え気味の演奏で寄り添うように応えています。逆に言えばStan Getzによって抑え込まれていたとも勘ぐることも可能ですけれども。
こうなると彼の独壇場にほかなりません。
収録曲のほとんどがスタンダード・ナンバーによって占められていますので、その歌心溢れるサックスの響きに思わずうっとりです。
先週までの蒸し暑さとは打って変わって、ほど良くひんやりとした今夜にもしっくりと来る演奏の数々です。
今年の真夏の夜にも大活躍すること間違い無しの1枚です。
そんな『A Path Through Haze』(1971)を白熊店長さんが採り上げていらしたので、1998年発売の紙ジャケットCDを引きずり出して執拗にじっくりと聴いてみました。

手持ちのCDは、曽我部恵一とサミー前田による監修の“日本のロックの夜明け”というシリーズの第8弾です。また、故黒沢進が解説を手掛けております。
水谷公生がグループ・サウンズ時代に在籍したアウト・キャストの場合、ガレージ・パンクの傑作である「電話でいいから」などの勢い任せの疾走感にばかり気を取られてしまいがちです。
そのギタリストがジャズ・ロックをとなりますと訳も判らぬままにわかに色めき立ちまして。
紙ジャケットCD化ならばなおさらにといった理由をこじつけてから10年弱になるんですね。
『A Path Through Haze』に話を戻しまして。
喧伝されているようなジャズ・ロックということもなく、そうかと言ってよっぽど自己中心的なまでにギタ−を掻き鳴らしているかと思いきや冷静に全体を統制していることに気が付かされますし、1971年に録音されていたという先進性には脱帽です。
ドラムスの細かいタム回しが推進力となって ギター・リフを丹念に重ねて行く表題曲M1「A Path Through Haze」からアルバムは始まります。
どちらかと言いますとM3「Turning Point」までは抑え気味でして、M4「Tell Me What You Saw」以降の暴発ぶりが興味深いです。
そのM4「Tell Me What You Saw」では各楽器がのたうち回るように走り出し混沌とした音の渦を作り出していますよ。
破綻寸前とまでも行きませんけれど、相当に歪んでいましてことのほか気持ち良いのです。
モーグ・シンセサイザーの妙ちくりんな音色が随所で顔を出すM5「One For Janis」の場合、オルガンを背に縦横無尽に駆け巡るギター・ソロともども聴き応え充分です。
ひょっとしたら、このM5「One For Janis」がいちばんのお気に入りになるのかも知れません。
M6「Sabbath Day's Sable」では綺麗なストリングスと端正なピアノに否応なく惹き付けられてしまいます。異色と言えばそれまでですけれど、美しい1曲に変わりありません。
ここでのドラムスが訳もなく心地良く感じられます。
ブルースの色濃いM7「A Bottle Of Codeine」を経て、最終曲のM8「Way Out」では何と女性のスキャットを交えた優雅さまで顔を覗かせております。意外過ぎますね。
いちばん初めに聴いた際には、実はさほど好印象を抱かなかったことを告白いたします。
拍子抜けというのとは逆に、その高みにほとんど反応することが出来なかったというのが実際のところなのではないかと今になって感じる訳です。
きちんと向き合って耳を傾けてみますと意外なほどに各曲の輪郭がくっきりと浮き上がって来まして、各々の個性や演奏者の技、工夫の跡が印象深く残るものです。
1971年の段階でこのような音が日本において鳴らされていたとはまさに驚くべきことです。ヨーロッパで海賊盤が製作されるほどに人気を呼んだという事実にも大いに納得です。
ちなみに1971年と言えば私、chitlinがこの世に産み落とされた年でもあります。
そんな時期に知ってか知らずかサイケデリックやジャズ・ロックの側面をちらつかせつつも紛いものでもなくかぶれていることもなく、言葉本来の意味でのプログレシッヴ・ロックを打ち出してしまっているというのはある種の奇跡に近いのではないでしょうか。